2016年12月17日(土) 「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい」ヤコ ブ1:21
「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい」ヤコ ブ1:21
主から「〜こうしなさい」と示された時、どうだろう。自分の心の 反応はどうだろう。「いや、そのようにしたら、周囲とうまく行か ない。変に思われる」「〜そうしたら、自分の立場が不利になる。 都合悪い」「犠牲が大き過ぎる。そんなに時間と労力がとられるの は困る」。ああだ、こうだと、様々な思いが浮かぶだろうか。 その思いが強くなり、段々、「ほんとにそんな事、示されたのか? 思い違いではないのか?」。サタンがどんどん働いて来る。「自分 には無理、無理」と。結局、主から示された事を、行なわないまま になってしまう。御言葉を捨ててしまうことになる。 御言葉を聞くのは嫌でなく。喜んで聞くし、学びもするのだが、神 の言葉よりも、常に自分の思いが優先されてしまうので、信仰生活 に御心が成し遂げられて行かない。そして御言葉は学ぶのだが、授 業を聞く感じで、頭ではわかるのだが、何だか神がよくわからず、 実感がないということになる。 どこが問題なのか。御霊の語りかけが来た時に、自分の肉の思いの 方を取って、それに従ってしまう。根深い価値観がある。エデンの 園で、善悪を知る木の実を食べた時に罪が入ったが、善悪を自分で 判断し、自分が正しいと思う価値観だ。自分の判断の方が常識に合 ってると思う。しかし、肉の思いの方を捨てて、御言葉に従う時に、 自分が変えられて行き、神がわかって行く。 ・・・・・・・・・・・・ 示された御言葉を、無理と流してしまうのでなく、そこで「無理で す」と主に向かって祈ろう。自分の状態を認めて、助けを求めて行 く時に、次の展開へと導かれて行く。気づかずに、流していないか よく心を見張ってみよう。