2017年01月17日(火) 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」Uコリント7:10
「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」Uコリント7:10
信仰生活において、私たちは弱いので失敗してしまう。その時、 自分の弱さや、過ちに、きちんと向き合うことが大切だ。だが、 これが非常に難しい。弱さは見たくないし、触れたくない。失敗 は余りにも辛くて、無かった事にしてしまいたい。考えたくない。 心の引き出しにしまい込んで、ふたをしておきたい。 しかし、認める事が信仰の前進のために、大変重要だ。主を裏切 ったユダとペテロが出て来る。どちらも裏切りという大罪を犯し てしまった。ユダは銀貨30枚で主を売った。ペテロは裏切るつも りは無かったが、呪いをかけてまで、主を知らないと否定した。 ペテロの弱さによる失敗だった。どちらも後悔した。しかし結末 が全く違った。 ユダは、罪に向き合うことをせず、主にも向かず、自ら命を絶っ てしまった。だが、ペテロは逃げなかった。自分の弱さ、罪に向 き合った。合わせる顔の無い、主に向いた。苦しく、辛い思いを 抱えながら、主の指示に従い、ガリラヤに行った。従った。そこ で、よみがえりの主に出会い、主の愛と赦しに包み込まれ、回復 させられた。 新たに主に出会い、立ち直る事ができた。そして、再度、主の働 きの任を与えられ、主の昇天後は、諸教会のリーダーとして立て られた。私たちも失敗をしてしまうが、それで万事休すなのでは ない。主に向き、過ちを認め、悔い改める事ができる。主はいつ も再びチャンスを下さる。 ------------- 三日待てばユダもよみがえりの主を見ることができたのに、主か らも罪からも逃げてしまった。肉の後悔には希望がない。失敗し 落ち込んでも主のもとで時を過ごそう。主が赦しと慰めをくださ り自分も事態も変わる。