2017年08月17日(木)

「そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげが与えられました」Uコリント2:8  


パウロは、とげが与えられていた。とげは身体を刺し、激しい苦痛
を与える。どんなに苦しみであったろう。取り去られるように、真
剣に求めた。これさえ無ければ、もっと主のために働けるのに、心
底から徹底的に祈った。しかし祈りの答えは「ノー」だった。主は、
とげを取らないと。

なぜなら、主の恵みは十分であり、取るよりも、そのままの方が、
更に主の栄光が現わされると。自分ではどうにもならない「弱さ」
の中にこそ、主の力が完全に現れるのだからと。神の力は「弱さ」
の中に、力強く働くと。あなたにも、弱さが与えられているだろう
か。

「この事さえなければ、私の人生どんなにスムーズだろう」「こう
でなければ、私は幸せだったのに」「この嫌な人さえいなければ、
こんなに苦しまずとも済んだのに」、侮辱、迫害、困難に、何度も
「この事を、あの事を取り去って下さい」と祈る。状況を変えて欲
しいと。しかし取り去られない。苦痛でたまらない、その中で、パ
ウロは切なる祈りをささげた。

とげが与えられる時には、まず祈ろう。御心なら取り去られ、御心
ならそのまま置かれる。しかしその置かれたままの中で、神の力と
栄光を現わされる。強くなるのでなく、弱さの中に神のわざは現れ
る。その弱さを無視したり、隠したり、無いものにするのでなく、
受け入れる時、キリストの力におおわれる。そして強ければ決して
知ることのできない、主の恵みを知る。
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いつか取り去られると祈り、また格闘するがどうして逃れられない
ものに直面する。しっかりと受け取るものであったなら、静かに受
け入れられるよう祈りたい。