2002年08月17日(土)

「わたしはヤコブを愛した。わたしはエサウを憎んだ」(マラキ1:2)

神がヤコブを愛し、エサウを憎んだと記され
ていて、大変不公平なことに見える。ヤコブ
という人物を思う時、更にその思いは大きく
なる。ヤコブは父親をだまし、兄のものであ
った長子の祝福を横取りして、自分のもの
にしたのだ。詐欺行為ではないのか。そん
なヤコブを愛した神は、不公平だったのだ
ろうか。誰しもが抱く質問かも知れない。
答えは簡単ではない。しかし、もっと根本的
なことがある。では、神に愛される資格のあ
る者が誰かいるのだろうか。私達はどうも
がいても罪から逃れられない。神から愛され
る資格など全くない。なぜ神がヤコブを愛し
エサウを憎まれたのかは、私達にはわから
ない。だが、神の愛に価する人など一人も
いないことはわかる。では、なぜ御子を送
られたのだろう。私達にできることは、神の
愛と恵みに感謝して、神にこたえて行くことだ。