2019年02月14日(木)

「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵の福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」使徒20:24


ヘロデ王がヤコブを殺害した。するとそれがユダヤ人に大変に気に
入られたのを見て、次はペテロ殺害に手を伸ばした。ペテロを捕ら
え、投獄し処刑しようとした。しかしペテロは、主が使わされた御
使いにより、奇跡をもって牢から救出された。

「教会は、彼のために、神に熱心に祈り続けていた」とあり、教会
ではヤコブの時も、ペテロの時も同じく熱心に必死に祈った。その
結果ヤコブは処刑され、ペテロは救い出された。なぜ?と思う。
が、これは、ヤコブとペテロそれぞれに対する、主のご計画であり
召しだ。ヤコブは殉教によって神の栄光を現わし、ペテロは更なる
福音宣教の任務が備えられており、それによって神の栄光を現わす
事となる。

ヘブル11章にも「ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃
れ、強くされ、戦いの戦士となり、陣営を陥れた」ある人々は、驚
くべき奇跡によりどんどん進撃して行った。そして同時にある人々
は「牢に入れられ、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺さ
れ、乏しくなり、苦しめられ」と殉教して行った。

見える結果は異なるが、どちらもが「信仰によって」歩んだ。一人
一人に備えられた神のご計画が全く違う。それぞれ別個の使命、召
しがある。「あなたはわたしに従え」のごとく隣の人は関係無く、
主だけを見て、自分に与えられた人生、自らに備えられた御心を歩
む事が、一番の喜びであり、神の栄光を現して行く。
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置かれた場所で主を認めて、主に与えられ主が用意してくださった
工程を信仰をもって歩んでいこう。一人一人みな違う工程にあって
も主を心に歩む人生はみな幸せだ。