2019年07月17日(水) 「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、 などと言って心配するのはやめなさい」マタイ6:31
「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、 などと言って心配するのはやめなさい」マタイ6:31
私たちは、心配事が来ると、不安や恐れに飲み込まれてしまう。不 安は不安を呼び、幾ら大丈夫だと思もうとしても、不安が泉のごと く湧き上がり、襲って来る。あなたも経験があるだろうか。周囲か ら大丈夫だからと励まされても、どうしてもだめなのだ。「何も思 い煩うな」と言われている事は、頭ではよくわかっているのだが、 しかし不安がどうにもならない。 主はそれもご存じで、明日のための心配は無用と。明日は考えずに、 今日の事だけ考えればよいと。今、現在、何か不足があるか?とり あえず飢えていない、身体も守られている。今日の必要は十分与え られている。では、常に「今日」は、目の前の必要が与えられてい るのではないか。 その「今日」の連続が一生だ。まだ見ぬ明日を心配し恐れるより、 今日、満たされている事に感謝してはどうだろう。その感謝は、信 仰と喜びを引き寄せる。感謝する時、視点が目の前の心配から、神 に向く。神視点になる時、心に平安が戻って来る。御言葉に立てて 行く。主にはご計画があり、一羽の雀さえ忘れられていない。 目の前に問題があるが、それは災いでは無く、平安と将来と希望の ためのものだ。必ず平安の落とし所へと導いて下さる。独り子をた まうほどに、愛されている・・。目が、問題から、御言葉へと転じる。 明日は委ねて、この一日だけを考えよう。この一日の労は、十分に 負える労だから。 ・・・・・・・・・・ 能天気という意味でなく、明日の事は主が心配して下さるから、私 たちは心配しなくてよいと。主が担い、すでに備えておられるから、 平安でいるようにと。状況を見るか、御言葉を見るかで、天と地ほ どに違ってくる。御言葉を信じ、御言葉の方に立てるよう祈ろう。