2019年08月16日(金)

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である」Uテモテ2:13 


 

ある人が、学校でいじめに会っていた。しかし、それを絶対に親に
言いたくないし、知られたくなかった。それはプライドからだった。
いじめられている自分を認めたくない。余りにも惨めで、認められ
ない。それを知られるなど、更に惨めで耐えられなかった。傷つい
ている事を認める事も、受け入れる事も出来なかった。

そのため、傷ついていない振りをした。だが心は苦しくて〃たまら
なかった。しかし主の御前では、そうであってはならない。振りを
してはいけない。主はどんな状態であれ、あるがままのあなたを受
け止めて下さるからだ。主の前では、繕う事も、隠す事も必要ない。
すでに裸のままの、その惨めな私を何もかもご存じの上で、受け止
め愛して下さっている。

傷ついていない振りをしているだろうか。プライドゆえに認めたく
ない事、だが深く傷ついている、その事をまず認めよう。それを主
にありのまま告げよう。その時、初めてあるがまま受け入れられて
いる事、愛されている事が実感できる。私たちがどうであれ、主は
常に真実だ。しかしこちらが正直でなければ、交わりが成り立たな
い。繕った私は、本当の私で無いからだ。

主との交わりが何か実感が無いのは、主の前でも繕っているからだ
ろうか。大丈夫な振りをせず、あるがままの気持ちを告げよう。誰
にも決して言えない事を聞いていただこう。主は両手を開いて、待
ち構えていて下さる。どんな中でも、平安を与えて下さる。
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祈ると心が平安に満たされるのは、主からの最初の祈りの答えでは
ないだろうか。ストレスの一つ一つを、偽らない本音を、真実な主
に聞いていただこう。人知を超えた神の平安を受け取れる。