2019年10月17日(木)

「悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる」伝道7:3



ある人の証しだ。若い頃から教会に行っていたが、神の愛はわかっ
ておらず、自分にとって信仰とは「あれはダメ、これはダメ」の律
法ばかりだった。窮屈なだけで、喜びも平安も無かった。そんな折
り、教会の人とトラブルを起こし、ギクシャクしてしまい、教会へ
行かなくなった。堅苦しいだけの戒めから解放され、自由になった
と思った。

しかし社会の荒波の中で、別のこの世の様々な縛りに直面し苦しん
だ。仕事も対人関係も、問題続きでとうとう行き詰まってしまった。
辛く苦しく、もう仕事を辞めようかと悩んだ。せっぱ詰まり、何の
すべもなく、どうしてよいかわからない状況で、ふと、なぜか聖書
を思い出した。昔、読んだ聖書を取り出して読んでみた。放蕩息子
の箇所になり、まさに自分の事だと涙が溢れて仕方が無かった。

初めて御言葉が単に頭でなく、心に迫り来た。以前はわからなかっ
た神の愛が、初めて心に沁みてわからされた。真実の愛を知った。
その時に、主に立ち返ることができた。主が喜んでいて下ることを
感じた。人は順境である時、うまく行っている時、神のもとへはな
かなか来ない。喜びの絶頂で、神に会う事はまれと言われている。

神無しで十分やって行けて、神無しで幸せだと思えるからだ。肉は
甘くない。試練は感謝で恵みだ。神の元へと導いてくれる。多くの
人があの時のあの苦しみが無ければ、神を求めていないと言う。苦
しみや悲しみは、私たちを神に向かわせてくれる。それは祝福へと
変えられて行く。
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問題に直面して初めて主の助けを経験する。一つ一つの試練が主は
必ず導いてくださるとの確信に変わっていく。それはあの苦悩の日
があったからだと必ず言える。