2019年11月16日(土)

「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者 ではなく、とこにこの取税人のようではないことを、感謝します」 ルカ18:11



ある人が、対人関係において、自分は人を見る時に、常にフェアで
ある姿勢を取ろうとして来たし、そうしていると思っていた。自分
は決して人を偏見で見ていないつもりだし、そう見る人は間違って
いると思っていた。しかし、ある時、御霊に心を照らし出された。

デボーションで、聖書の中のパリサイ人と取税人の祈りの箇所を読
んでいた時だった。パリサイ人が祈りで「神よ。私はほかの人々の
ように〜〜でないことを、感謝します」と言った箇所が目に留まり、
心に刺さった。心の奥の自分が重なった。このパリサイ人は何と愚
かなのか、自分はこのパリサイ人のようではない、自分は違う、そ
んな事はしないと、優越感を抱いて見ている事に気づかされた。

又、更に表にこそ出さないが、実は心の底では様々差別をしている
醜い自分に気づかされた。まさにパリサイ人の姿そのままだった。
神に反抗しているならわかりやすいが、表面的には、御言葉に従い
正しくあろうとし、神の心にかなおうと、従おうとしているので、
返って気づかない。

御言葉と御霊の光が臨む時、私たちも、心の奥底が見せられ、全く
気づかなかった、知らなかった自分の本当の姿を知る。愕然とする
が、主はそんなものは何もかもすでにご存じの上で、愛して下さっ
ている。神は知っておられるが、自分が自分の本当の姿を知らない。
様々の取り扱いを通して。本来の姿を見せられ、悔い改めつつ、ど
こまでも成長して行ける。

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どこまでも醜い肉があるが、御霊により気づかされる事が感謝で、
光の中だ。光の中なので、見えて、祈りに持って行ける。そして主
はそんな自分をありのまま愛して下さっている。愛されているから
悔い改める事が出来る。主の赦しの平安、安心の中を歩んで行ける。