2020年02月15日(土) 「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは 神に喜ばれることです・・キリストも、あなたがたのために苦しみを 受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されまし た」 Tペテロ2:20
「善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは 神に喜ばれることです・・キリストも、あなたがたのために苦しみを 受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されまし た」 Tペテロ2:20
不当な目に会った事があるだろうか。ある人が職場で、理不尽な扱 いを受けて、苦しんだ。友人が慰めようと「辛かったね」と声をか けた。するとその人は「ええ、こんなに祈った事は初めて。自分は 悪くないのにと、悔しさで一杯でいた中で、主の十字架が迫った。 完全に正しい方が、十字架にかかる必要の無い方が、あの十字架で 苦しまれ、命を捨てられた事に目が開かれた。主の姿を通して自分 の姿が見えて。その時、主にお委ねできて、今、全く平安で感謝し かない」と答えた。彼女には言いたい事が山ほどあり、正当な主張 があったろう。 しかし彼女は信仰に立っていた。自分で自分を守ろうとせず、又、 自分で状況を動かそうとせず、すべてを正しく導き、裁き、成し遂 げられる方にお任せしたのだ。 ダビデも、サウル王から理不尽な扱いを受けた。サウルの一方的な 妬みから命をつけ狙われた。槍で突き刺そうと投げつけられた事も あり、執ように追っ手をかけて追撃された。ヨセフも、エジプトで 主人から目をかけられたが、その妻の悪巧みで、全く身に覚えの無 い無実の罪で投獄された。しかしダビデもヨセフもそんな苦しみの 中で、反撃するので無く、信仰に立った。 御父を信頼し、自らの命も境遇も委ねて行った。そして、主はその 信頼に応えて、彼らを守り、ふさわしい時に、ふさわしい解決を与 えられた。 ・・・・・・・・・・・・ 理不尽な、不当な目に会う時、自分で反撃、報復せずに、まず主の もとへ行こう。状況も、思いも、気持ちも、感情も、何もかも主に 告げよう。主が受け止め、肉の言動、行動から守られる。そして対 処して下さる。「わたしが復讐する」と言われる主に委ねよう。