2020年03月17日(火)

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」マルコ11:25



ある人が、職場で、皆の前で面と向かって、批判され、きつい言葉
で攻撃された。それが理不尽で、なぜそんな事を言われなければな
らないのか、納得が行かず、ひどく傷ついた。更に、人々の面前で
もあり、プライドも傷つき、赦せない思いで一杯になり、怒りと憎
しみが湧き上がった。しかし赦せない思いは、自分が苦しい。

苦しくてたまらない。心が重く暗く悶々状態だ。しばらくして、部
署替えがあり、その相手は、顔を合わす事も無くなった。もう会わ
ないのだから良いようなものだが、しかし目の前にいなくなっても、
憎しみは消えず、心は苦しくてたまらなかった。赦せば、自由にな
る事がわかる。それなら赦せば良いと思うのだが、どうしても赦せ
ない。

忙しい時は紛れているが、時間が出来ると、ふっとよみがえり、心
に影を落とす。楽しい時も楽しくなく、牢獄に捕らえられた囚人の
ようだった。辛くて、主の御前に行き、何もかも心のありのままを
打ち明けた。赦せない事、憎んでいる事、しかし苦しくて、もし解
放されるならそうしたい事・・葛藤があったが、このままではいた
くない。

ずうっと御前で思い巡らし、考え、祈った。そしてとうとう赦すこ
とを決意した。「赦します。助けて下さい」と、主に意志を向けて、
祈った。するとあんなに苦しかった心が、すうっ〜と平安になって、
驚いた。みわざだとしか考えられなかった。生きて働いておられる
主に触れた瞬間だった。心が自由にされ、嬉しくて感謝でならなか
った。主と自分の間に隔たりをつくっていた事に気づかされた。
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自分には赦すことが出来ないからこそ祈り始めよう。繰り返し考え
続けるより主に助けを求め、御霊に満たされて心を守ろう。必ず主
に明け渡せ委ねていける。