2020年10月17日(土)

「『ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません』すると イエスは言われた『それを、ここに持って来なさい』」マタイ14:1 7

ケリテ川においては、主は烏を用いられた。当時、烏は忌み嫌われ
ていた。しかし主はその烏を用いて、エリヤを養われた。そしてツ
ァレファテの貧しいやもめを用い、その一握りの粉と僅かな油を用
いられた。エリヤが「まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作
り、私のところに」と言ったが、彼女は主の言葉を信じて、まず自
分たちでなく、まずエリヤに持って行った。すると粉と油は尽きる
事なく、饑饉の間中満たされた。

五千人の給食で、少年は五つのパンと二匹の魚を、主のもとに持っ
て来た。小さな子供用の弁当だった。しかし主は少年の献げ物を用
いられ、男だけで五千人、女子供で一万人以上の人々を満腹させら
れた。少年が自分で所持していれば、パン五つと魚二匹を自分が食
して、それで終わった。しかし主に献げた時に、大勢の人々の祝福
のために用いられた。そして主の栄光が現わされた。

八十歳の老齢になったモーセも、主がお入り用なのですと召し出さ
れた。「あなたの手にあるそれは何か」と問われ「杖です」と答え
た。主はモーセの羊飼いの杖を、神の杖として、民の出エジプトの
ために用いられた。

どうだろう。有能で力があるから主の役に立ち、用いられると思い
がちだが、そうではなく、貧しく、小さく、弱く、無力な者を用い
られる。力は自分からでなく、主から来る。あなたも、主にお献げ
するなら、豊かに用いて下さる。主に自分自身をお献げしよう。

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弱さの中に、主の力が完全に現われる。強さの中にではない。主は
取るに足りない者、無に等しい者を選ばれる。自分は足らない者で
あるが、「ここに持って来なさい」主のもとへ自分自身を持って行
く時に、主の御手の中に置かれて、主の栄光のために用いて下さる。