2021年02月14日(日) 「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて、他方を軽んじたりするからです」マタイ6:24
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて、他方を軽んじたりするからです」マタイ6:24
あなたの宝のある所に、あなたの心もある、とあり、自分の宝を地 上に貯えるのはやめよとあるが、自分にとってとても大切なもの、 価値あるもの、無くては生きて行けないものは何だろう。それが、 その人の宝だ。それは富や物とは限らない。ある人には、名誉や社 会的地位、才能や仕事、人からの賞賛、評価、自己実現、プラ イド、又、子供や愛する人だ。 自分が執着しているものだが、それは死後、持って行けない。「私 たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出る こともできない」。パリサイ人は、人からの賞賛のため、見せるた めに自力で善行をした。良い人に見られたく、天でなく、地上に宝 を貯えるためだった。それを止めよと言われている。 自分の宝は天に貯えよと。「天に宝をたくわえる」とは、主を信じ、 自分の力でなく、主の恵みによって生きる事だ。それは日々に、主 の喜ばれる事、主の御心を求めて、この地上において自分の思いで なく、御心を行なって生きる事であり、今日を天に繋げて生きる事 だ。 「目が健全なら全身は明るい」、目が健全とは二心でなく単一で、 あれもこれもと目移りせず、一心に一つのもの、主を、天を見つめ る事だ。もし目が濁れば、あちこち目移りし、天に向かず、地のみ で全身は暗いままと。地で執着するものがあれば、必然的に目が天 に向かない。自分の宝は何だろう。 ・・・・・・・・・・ この世だけに生きると、一瞬の快楽はあるかも知れないが、心の奥 は虚しく、あれやこれやとさまよってしまう。極みまで愛し、慈しんで 下さっている主を見上げ、この一日も、天に繋げた一日であるように、 祈ろう。