2021年05月17日(月)

「弟子たちはイエスを起こして言った。『先生』。私たちがおぼれ て死にそうでも、何とも思われないのですか」マルコ4:38



ガリラヤ湖は、時に突如の嵐が発生する。この日、主は「さあ、向
こう岸へ渡ろう」と言われ、弟子たちは、その言葉に従い舟を出し
た。主は疲労しておられ、乗り込んですぐに熟睡された。そんな時
に、突然嵐が起きた。凄まじい突風で、大波をかぶり、舟は水で一
杯になった。

今にも浸水し転覆しそうだ。嵐にも慣れているはずのプロ漁師です
ら、恐怖で、身の危険を感じたほどだった。しかし、主は、と言え
ば、この大騒動の中、いっさい動じる事もなく、熟睡しておられた。
弟子たちは、主が同船しておられるのに、それにもかかわらず、恐
怖でパニック状態だ。

状況に飲み込まれてしまい、主を前にして動揺し、右往左往だ。だ
が、主が乗っておられる舟が沈む事などあり得ない。100%無い。
その方が不可能だ。そしてはっきりと「向こう岸に渡る」と言われ
たのだから、向こう岸に着く。舟が沈む、沈むと、慌て、恐れ、怯
え、不安に飲まれるのは、私たちの姿かも知れない。

嵐に、厳しい試練に会うと、舟が沈んでしまう、何もかもがだめに
なってしまうと思い込んでしまう。ちょっと何かあると、自分の一
生はもうだめだ、仕事はだめだ、家庭はもうだめだ、子供はだめに
なってしまう・・。舟が沈むと思うと、恐怖でしかない。しかし主の
舟が、沈む事など有り得ない。

「どうしてそんなに恐がるのか、信仰が無いのはどうしたことか」
と。主は、私たちの内に、そして私たちの人生に同船して下さって
いる。その主を信じることを、その信仰を求めておられる。驚き、
慌て、恐れている事をそのまま告げて、信仰に立てるように、助け
を求めて祈って行こう。

・・・・・・・・・・
主は、嵐の問題でなく、信仰の問題だと言われた。嵐は問題ではな
いと。なぜなら、主が同船しておられる。主が乗っておられる舟が
沈む事など、100%有り得ない。しかしまさに心配しているのは、
その事だ。主の視点で、目の前の事態を見てみよう。