2021年07月17日(土)

「神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」ヤコ ブ4:6


御言葉は、よくへりくだりについて言っている。へりくだりは自己
卑下ではない。自分の事を「いえいえ私などは」と、とにかく卑下
すればよいのではない。それが謙遜なのではない。「ことさらに自
己卑下をしようとし・・肉の思いによっていたずらに誇り」と、自己
卑下とは肉の誇りとあり、実際は人の前を意識した、人へのアピー
ルであり、自分のためなので、根は高ぶりになる。

謙遜を誇ることになってしまう。ある人が、自分は、誰よりも謙遜
になろうと思ったが、それこそ高ぶりだと示されたと。単に腰を低
くする事ではない。外側、柔和な物腰で、心では全く違ったりする。
パリサイ人は、祈ることも断食することも、人に施すことも、すべ
ては人に見せるためであり、自分のためであった。

へりくだりとは、自らの本当の姿を認める事だ。逃げないで、ふた
をしないで、正面から向き合い認めること。自分の肉の性質、古い
生まれつきの性質は、まさにパリサイ人そのものだ。古い性質が、
今もあるのだが、しかし、主は新しい性質を与えて下さっている。
主を喜び、主に従おうとする性質だ。

へりくだりとは、自分の思いに従うのでなく、御霊の導きに従うこ
と、どんな場合にも「はい」と従って行くことだ。「私を強くして
下さる方によって、どんなことでもできるのです」自分にはできな
いが、御霊の助けによって「どんなことでも」できると言っている。
祈りをもって、主を信頼して従って行こう。今、示されている事に
「はい」と言う事がへりくだりだ。従おうとする時に、主の力と主
の助けが臨む。

・・・・・・・・・・・・・
自分の思いを捨てて、主の御声に従い、御心を行なって行くことが
へりくだりだと言っている。強い自分の思いに気づくことから始ま
る。しばしば主を頼らず、主を認めず、自分で行なおうとしてしま
うj。行く所どこにおいても、主を認めて行けるよう祈ろう。