2022年03月17日(木)

「主は、あなたを苦しめ、飢えさせ・・マナを食べさせられた。そ れは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべ てのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった」 申命記8:3



ある夫妻が、親の自宅介護をしていた。段々認知症も入って来て、
医師にもそろそろ施設をと勧められた。だが本人の強い願いがあ
り、
夫婦でも、自宅で最期を看取ることを願い、決心していた。しかし
厳しい現実にぶち当たって行く事となり、決して甘くはなかった。

朝毎に、夫婦で切に祈った。主に頼り、主にすがる日々だった。時
に涙して、祈り合った事もあった。だが、主に頼るということを、
初めて経験させられた、大きな恵みでもあった。「あすのための心
配は無用です」「あすのことはあすが心配します」が大きな力と支
えであった。

今日一日だけ生きて行こう、明日は考えなくともよい。この一日の
ことだけを考え、なすべき事をしようと思った時に、肩から重い荷
が転げ落ちた。一日だけで良いと思った時に、思い煩いや不安が失
せた。心が救われた。目の前の事に集中できた。

そして「耐えることのできない試練に会わせるようなことはなさい
ません」「脱出の道も備えてくださる」との御言葉に励まされ、必
ず乗り越えられる試練であると、最後まで大丈夫と思え、信仰に立
てた。日々祈りと御言葉によって生かされた。

御言葉によって生きるとの意味を、真に身をもって知らされた。
親を見送る事ができたのは、大きな感謝であった。そしてこれは他
でもない自分たちのためである事がわかった。主を知るため、成長
のためだと。更に感謝が溢れた。
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問題を前にすると自分の知恵や力の無さにまず愕然とするが、主の
もとに行く時、大きな慰めを受ける。御言葉によって主は折々に、
一歩ずつ導いてくださる。御言葉に立とう。