2022年09月16日(金) 「パウロは・・大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と 言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した」使徒14:10
「パウロは・・大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい』と 言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した」使徒14:10
ルステラで、生まれつき足なえの男性がいて、一度も歩いた事が なかった。パウロが御言葉を語っていた時に、その人が丁度そこに 座っていて、じっと真剣に聞き入っていた。彼は自分の足に関し て、100%無力だった。何の手立てもなく、どうする事もできなか った。歩く事は不可能だった。 自分に全く望みを置けない、徹底的に無力の状態だった。そんな時 に、パウロが「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。彼 は、そのパウロの言葉にすがりついた。無力だったからこそ、すが る事ができた。彼にはこの言葉がすべてだった。あらゆる望みを置 いて、信じて賭けた。その言葉に拠り頼んだ。 そこに信仰が働き、その信仰に、主の力が臨み、奇跡が起きた。生 まれてから一度も歩いた事のない彼が、飛び上がって歩き出した。 私達も自らの全き無力を知る時こそが、信じる時だ。何の方策も無 く、何もどうにも出来ない。「信じるしか道がない」。その時に初 めて生きた信仰が働く。自分の力があるなら、自分でやって行く。 自分の方法に頼り、自分の力に頼って行く。そこに、主への信仰の 余地は無い。幾ら御言葉があっても、必ず自分の力でやって行く。 信仰とは、御言葉だけを頼りに、自分を主に任せて行く事だ。そう であれば、自らの無力を知る事こそ、実は、大きな祝福であり、幸 いだ。 --------------- もう打つ手がないと知るとき、深く落ち込んでしまう。どれ程、自 力で動き回りたいのかを思い知らされる。でも真実に主に頼れる時 だ。頼るべきお方がいてくださる幸いを再発見する時だ。