2022年10月17日(月)

「サウルは答えて言った『私はイスラエルの部族のうちの最も小さ いベニヤミン人ではありませんか・・どうしてあなたはこのような ことを私に言われるのですか』」Tサムエル9:21



イスラエルでは、主が王だった。だが民は、他国のように人間の王
を求めた。敵の脅威もあり、戦いに強い将を求めた。主はそれがど
ういう事かを告げ、警告された。王は民を支配し息子や娘を取り、
畑を搾取し王の奴隷となると。だが民はどうしてもと、言い張っ
た。

そこで主は、サウルを与えられた。王が選ばれた時、サウルは荷物
の間に隠れていた。「私は部族の内の最も小さいベニヤミン人・・
つまらない者、どうしてこのような事を」とサウルは、自分が王な
どと大それたこと、大勢の民を見た時に尻込みした。主は小さな者
を用いられる。人の力は問題ではない。主が霊を注ぎ力を与えられ
るからだ。

「主の霊があなたに激しく下ると、あなたも彼らと共に預言して、
新しい人に変えられる」「手当たり次第に何でもせよ。神があなた
と共におられる」御霊に自分を明け渡して支配される時、主の思い
が自分の思いとなる。主と一つであり主の願いが自分の願いとな
る。それで何かをする時、御心に適ったものとなる。

残念ながら、サウルは王になると高慢になってしまったが。主は小
さな無力な者を、御霊の力により用いられる。自分の能力は問題で
はない。主に頼り、従う時に、能力も知恵も上から来る。今、もし
示しが与えられているなら、従おう。主がお入り用であり、すべて
の必要は主から来て、用いて下さる。
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自分を見れば駄目だ駄目だと後ずさりするばかりだが、出来る事が
ある。自分を見ずに用いてくださる主を見ている事だ。主に信頼し
て恐れずに従おう。必要な力は主にある。