2023年08月17日(木)

「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心の ゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」 1ペテロ2:19



信仰者は、「主のゆえにののしられたり、迫害されたり」と信仰の
試練があり、苦しみを受ける。しかし自分の非のゆえに、落ち度で
問題を起こし、苦しむのは主のゆえの試練ではない。信仰以前の問
題だ。礼儀に反する事をするなら嫌われて、苦しみを招く。しかし
そうでなく、クリスチャンという事で苦しみを受ける事がある。

現在なら、迫害されて、即、命を落とすという事はないが、違う形
の苦しみがある。信仰を親や家族に理解してもらえず、反対された
り、地域社会に受け入れてもらえず、よそ者扱いされたり、阻害さ
れる。又、信仰を笑われたり、嘲られたり、辛い思いをする。又、
「ありもしないことで悪口・・」と、理不尽な苦しみがある。

だがそれがキリストのための苦しみなら、あなたは幸いだと。豊か
に祝福された者だと。「喜びなさい。喜びおどりなさい」と。天に
おいてあなたの報いは大きいのだからと。信仰ゆえの不当な苦しみ
や、様々な辛い思いをする時、どうしても意気消沈してしまう。気
落ちして、「喜びなさい」の御言葉を手放してしまう。

だからこそ、信仰によって喜び、喜びおどれと。上を見上げ、主を
期待せよと。又、不当な扱いを受けて、悲しみをこらえるなら、そ
れは主に喜ばれることであり、善を行なっているのに、苦しみがあ
り、忍耐するなら、それは神が喜ばれることだと。共におられる主
が喜んで下さっている。御言葉に心を向け、絶えず信仰を向けて行
こう。
---------------
信仰を喜んで迎えられる事の方が少なく、辛く悔しい経験をする。
自我が痛み反発するが、それが神の前の良心ゆえに忍耐するとき、
良き証しを残せる。主のゆえに信仰によって喜ぼう。