2023年09月16日(土) 「・・だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。 なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを 守り、わたしの名を否まなかったからである。」黙示録3:8
「・・だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。 なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを 守り、わたしの名を否まなかったからである。」黙示録3:8
フィラデルフィアの教会では、兄弟愛が保たれていた。それは「わ たしのことばを守り」とあり、み言葉を重んじ、そこに土台を置き、 み言葉に従っていたからだった。それゆえ兄弟愛が保たれていた。 自分の思いでなく、み言葉に一人一人が従う時に、そこに兄弟愛 が保たれる。「ことばを守り」が、カギだ。 そして教会は、「御霊の一致」を熱心に保つようにと言われてい る。人間的な一致でなく、御霊の一致だと。意見が合う、好みが 合う、相性が良いとの、決して人間的なものではない。信仰者 一人〃には、御霊が内住されていて、各々がその御霊に従う時 「御霊は一つ」なので、そこに必ず一致がある。 それを妨げるものが、肉だ。皆が、自分の思いを主張して行くな ら、必ず分裂になって行く。人は十人十色で、思いや意見は皆、 ことごとく違う。そこにサタンが巧妙に働いて来る。主を見上げ、 「主のみ思いは」から離れ、自分の思いに固執する時、「自分を わかってくれない」「受け入れてくれない」と感情的になり、関係 がもつれてしまう。 「自分が」「自分の」「自分を」に向かう時、兄弟愛からかけ離れてし まう。サタンが働くところだ。まず主のみ思いは、み言葉はどう言 っているかに目を向ける時、兄弟を愛する愛と一致に導かれて行く。 そこに主の栄光が現われて行く。 ・・・・・・・・・・・・・ 常に、自分の心の内には、御霊の思いと、自我からの肉の思い がある。肉の思いを捨てて、御霊の思いに従えるよう祈りたい。 サタンに自己主張、自己憐憫、自己顕示を正当性で欺かれな いよう祈っていよう。