2023年11月16日(木)

「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているの なら、神の国はあなたがたに来ているのです。」ルカ11:20



「神の国」とは、神の支配のことだ。神が支配されている所が、神
の国だ。それなら、どうして悩みや苦しみがあるのだろう。神の支
配の中なら、苦しみや悲しみ、問題の無い、平安と喜びで満たされ
た状態ではと思う。なぜそう思うのだろう。悩みや問題は、苦しみ
や葛藤をもたらすものであり、避けたい嫌なものだ。

人間に幸せをもたらして下さるなら、苦しみや悲しみが無い状態だ
と思う。だから、主は、そのようにして下さると思ってしまう。し
かし、それは人間の勝手な思い込みだ。人間の思う神とは、自分に
都合が良い神で、ハピーな事、自分に利益をもたらしてくれる神
だ。人間中心に考えると、そうなってしまう。

そのため、聖書の神もそうあって欲しいと思うので、主が支配する
所なら、心配も悩みも無いはずではと思う。だが、そうではない。
主の支配は、私たちの自由を拘束する強権支配ではない。又、何も
かも私たちの願い通りになるのでもない。それは、ご自分の独り子
を私たちのために殺され、罪も死も引き受けて下さった、一方的
な、無条件の、犠牲的愛による支配だ。

今、この主の愛のご支配の中に置かれている。だから、辛い事も、
試練も起きるが、それは、愛なる神から送られているのであり、愛
のゆえだ。主にはご計画があり、その苦しみは必ず益とされ、私た
ちが願う霊的成長へと導かれ、主を更に親しく知って行ける。必ず
祝福とされ、御霊の実を結ばせて下さる。
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試練は苦しみだけに目がいってしまうが、幸せと思えるものも悲し
みと思えるものも、全て主のご支配の中でくると試練の中で知る。
主が最も近くにおられ愛されている事を知るからだ。平安の実だ。