2024年07月17日(水)

「パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ 人の国の道には導かれなかった」出エジプト13:17


モーセに率いられた民がエジプトを出る際に、主はカナンへの行程
を、ペリシテの国を通る近道に行かせず、困難な荒野の道へ導かれ
た。その理由が、「民が戦いを見て、恐れてエジプトに引き返さな
いよう」にとの事で、主の配慮であった。長年の奴隷生活で、戦闘
訓練など全く無い民が、ペリシテや強敵との戦争に、恐れ怯えて戦
いなどできず、逃げ帰ってしまうからと。

私たちの価値観に、とにかく近道、合理的、早い事が善との思いが
ないだろうか。遠回りは延々と時間がかかる。そんな面倒な、困難
な道は避けたい。さっさと進みたい。しかし主は近道でなく、あえ
て厳しい苦しい荒野を通される。それが主の方法で、主が苦難の道
を通される。私たちも祈りの答えを、目の前の問題解決を、一気に
下されば良いのにと思う。

遅々と進まず、まさに遠回りさせられていると感じる状況がある。
自分の思いや計画と違う道を通される。だが、そこを通ってこそ忍
耐と信仰が養われる。まさにその渦中でこそ、主のご愛や真実を経
験する。砕かれ、練られ、明け渡す事を経験し、成長が与えられ
る。そこを通らずしてあり得ない。

そして民のその荒野の道には、雲の柱、火の柱が伴い、ずっと主の
臨在があり、行くべき道が示される。荒野で灼熱の太陽から雲の柱
で守られ、夜の暗闇を火の柱に照らされる。道中一度も「民の前か
ら離れなかった」。今、苦しい荒野なら主を信じよう。決して離れ
ずに、ずっと共におられ、豊かな実を結ばせて下さる。
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物事が思うように進まない時、もっと良い方法はないかとさらに自
分の計画へと向かう。そこに主の御心があるのかを祈りたい。
主の御思いこそを求め、主のご計画が実現していく事を祈ろう。