2024年11月16日(土)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来 なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28


ある夫妻の証しだ。ある時期に、次々と厳しい試練が臨んだ。仕
事上の大きなミス、家の経済的困窮、こじれた対人関係の悩み、
更に家族の入院まで重なった。心は動揺し、もう不安しか無く、思
い煩いでどうにかなりそうだった。更に対人関係では、怒り、赦せ
ない思いにも、さいなまれる。

解決の糸口も見えず、心は重荷におしつぶされそうだった。そん
な時に、忙しさにかまけて、行かなくなっていた教会の事を思った。
夫婦で足を運んだ。何の手だても無い中、何らかの指針、支え、
助けが欲しかった。必死な思いで出た礼拝だった。椅子に座った
時に、以前喜んで通っていた時の事がよみがえった。心が落ち
着いた。

乾ききったスポンジのように、以前、親しんだ賛美歌が心にしみた。
御言葉が心に響いて来た。牧師に導かれ、祈りの時を与えられた。
一つ一つの問題を具体的に、御前に祈って行った。あれほど、不
安と恐れで、いっぱいであった心が、落ち着いて行った。そして、
何だか大丈夫だと思えた。試練を通して、主に立ち返れた事が、
何より感謝なことだった。

続けて祈りつつ、主の示されるままに従って行った。すると突然、
以前、友人に用立てた、まとまったお金が返済されて来て、必要が
満たされた。仕事上の解決策が見つかった。対人関係のもつれ
は、へりくだりを示された。どうであれ、従う決心をしていたので、
示されたまま実行して行った時に、驚くべき和解へと導かれた。
まさに新しくされた。一連の試練は、主のもとへ連れ戻すための、
主の愛だったと、心から感謝した。

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「主はその愛する者を懲らしめ」と、愛する者に試練を与えると。
しかし、試練としてを受け入れない、頑なな自我がある。いら立ちと
不満でいっぱいだ。そのまま主のもとへ行こう。状況は同じでも、
見え方が違って来る。そして休みへと導いて下さる。