2025年01月17日(金) 「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの 良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」 Tペテロ 4:10
「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの 良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」 Tペテロ 4:10
動物学校の例え話を、聞いた事があるだろうか。動物学校で「空を 飛ぶ、泳ぐ、走る、木を登る」の訓練があった。まずリスは、木登 りは好きで得意だが、空が全く飛べない。すると劣等感で落ち込み、 得意な走りも自信を失いそうだ。次に、うさぎも、走りは得意だ。 しかしどんなに頑張っても、やはり空は飛べず、ひどく落ち込んだ。 次に鷲は、飛ぶ事は大得意だ。大空を自由に飛べる。だが他の事は うまく出来ず、がっかりし自分を責めた。何とか走ろうとして、足 をけがした。アヒルは、水泳が得意だ。だが飛べないので、鷲が羨 ましくてならず、妬みを覚え、自己嫌悪に陥った。これらを、こっ けいだと笑ってしまうが、私たちもどうだろう。それぞれ造られ方 が、全く違っている。 各々の良さ、得意分野がある。それを他者と比較し、他者のように なろうとするなら、自分の賜物も生かせないまま、自分で自分を損 ない、終ってしまう。主は、私たち全員を「異なって」造られた。 各々得意と不得意分野がある。違っていて良い。比較でなく、自分 の賜物を見い出し、主が遣わされた場で、御霊に助けられて、主の ために用いて行こう。その時、喜びと楽しみの中で、生きて行ける。 与えられた各々の個性が全開して行く。周囲を見て、落ち込んでい るだろうか。その原因は比較だろうか。比較は、優越感と劣等感を グルグル行き来し、アップダウンし、虚しさで終わる。主を仰ぎ、 与えられているものを持って、仕えて行こう。 ----------- それぞれに違う賜物が主から与えられている。なんと感謝な事だろ う。ともに喜んで仕えていける。横の人を見るより、与えておられ る主を仰ぎたい。