2025年03月17日(月)

「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、 歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではない ことを」エレミヤ10:23



ある人の証しだ。主を信じ、救われて以来、デボーション、主との
交わりが非常に大切であることを、ずっと教えられて来た。そのた
め、祈ること、御言葉を通して御声を聞くこと、主は御言葉を通し
て語りかけ、お心を教えて下さることがわかる。信仰生活の生命線
であるとわかる。主との交わりが何より大切だと、よくわかってい
るのに、なかなか祈りの時間を持てないし、聖書も読めない。

ズルズルと1週間が過ぎる。礼拝に行っては、流されていたと気づ
かされ、主と交わりの生活をしたいと思う。だがついダラダラとテ
レビで時間がつぶれ、雑誌は幾らでも読めるのに、聖書が読めない。
好きな事には時間を忘れて夢中になる。なのに主との交わりである、
デボーションの時間は無い。こんな繰り返しに、自分でもいい加減
いやになり、主のもとへ行き祈った。

正直にありのままを打ち明け、助けを求めた。祈っていた時に、御
霊の気づきが与えられたのだ。主を真剣に、本気で求めていない事
に行き当たった。自分でどうにも出来ず、主を求める事が出来るよ
う、助けを求めようと思えた。しかし、これらも祈った祈りの答え
である事に感謝した。祈る事も聖書を読む事も、自分の力では出来
ない。助けを求めて祈る時に、主を経験して行く。

ある人は、なかなか祈れない自分に、助けを求めて祈った。その時、
忙しいから、時間が無いからの理由でなく、祈らなくても、やって
行けると思っている、心の奥の自分に気づかされた。それは高慢で
はないか。気づきを与えられ感謝した。まずありのままを主に祈ろ
う。そこから展開が与えられて行く。
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御霊による気づきは感謝だ。自分の歩みを確かにする力が自分には
ないことを様々な事を通して知らされる。主が歩みを確かにしてく
ださる。なんと感謝な約束だろう。