2025年05月17日(土)

「この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは 私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるよう な暑さを辛抱したのです」マタイ20:12



一人暮らしの女性が、歳末になり、街が華やかに輝き出すと、
寂しくてたまらなくなると言った。巷がにぎわい、家族団らんが
溢れる年末年始は、ひどく孤独に感じた。周囲の楽しげな光
景を見ては、主は不公平だと、又、なぜ与えて下さらないのか
と、不満と共に心が沈んだ。

主にぶつけて、祈っていた時に、ふと、ぶどう園の労務者の
箇所で、気づきが与えられた。早朝からぶどう園で働いた人た
ちは、賃金を契約し、満足だった。仕事にありつけて、報酬も
約束され、一日の労働を終えるなら、糧を得て帰宅できる。
妻子の喜ぶ顔も思い、励みになったろう。賃金の保障により、
暑さの中も平安もって働けた。

ところが賃金支払い時に、隣と比較した途端、感謝と平安が
すべて吹っ飛び、不平不満と怒りで、一杯になった。もし比較
が無ければ、与えられた報酬に、感謝し満足して帰れただろう。
彼女は、外側の事でなく、自分の心の態度の問題と気づいた。
人との比較でなく、また自分の理想や、思いとの比較でもなく、
境遇を主からのものと受け止め、そこで上を仰ぎ、主に従って
行くなら、来る日も〃平安でいる事ができるのではないか。

主に出会う以前、自分を量るためには、人との差異でしか量り
ようが無い。そのため、比較は、誰しもに根深く培われている世
の価値観だ。主は少しづつ〃変えて行って下さる。まず比較に
気づけた時に、その事に感謝しよう。御霊は気づきを与えて下
さる。心を自由に〃して行って下さる。

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比較に目が行くと感謝が失せ、不満でいっぱいになる、平安は
消え、妬みに捕らわれる。比較が、自分自身も根深い価値観に
ある事を、まずわきまえて、その度に御霊の気づきが与えられ、
導かれるよう祈っていよう。少しづつ〃変えて行って下さる。