2025年07月17日(木)

「『私は主に対して罪を犯した。』・・『主もまた、あなたの罪を 見過ごしてくださった。あなたは死なない』」Uサムエル12:13



罪を言い表わすとは、自分の犯した罪を「その通りです」と認める
事だ。その時、主は真実で正しい方ゆえ、その罪を赦して下さる。
だが、肉は、認めたくない。プライドが許さないのだ。言い訳で、
自分を正当化する。言い訳は幾らでも出てくる。仕方が無かった、
状況が悪かった、自分は疲れていた、相手が悪い、相手や状況の
せいだと思いたい。

自我は根強く、罪を認める事は非常に痛い。善行で埋め合わせたい。
だが、それでは主の赦しを受け取れない。平安がないままだ。ダビ
デは、バテシバとの姦淫とウリヤ殺害の罪を重ねたが、王であり、
思いのままだ。しかし「黙っていた時には、1日中うめいて、骨々
は疲れ果て」「御手が昼も夜も重くのしかかり、骨髄は夏のひでり
のように乾ききった」平安も喜びも無く、心は苦しみもだえた。

だがナタンの指摘で、罪を告白した瞬間、ダビデは赦された。私た
ちも、そのまま主の御前に行こう。「認めたくない」「自分は悪く
ないと思いたい」「しかし、平安が無く、助けて欲しい」、その祈
りに主は答え、手を取り導いて下さる。主との関係が回復されたダ
ビデは「主にあって、喜び、楽しめ。喜びの声をあげよ」と。

もし、言い訳と弁解に終始し、自分を正当化しているなら、主に助
けて頂き、自らの罪を認めよう。そう出来るよう祈ろう。全き赦し
が与えられ、喜びと安堵、大きな祝福の中に入れられる。弱さのゆ
えに罪を犯してしまうが、赦されて、赦されて、歩める幸い。
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過ちを犯せばすぐに悔い改めるダビデ王に学びたい。言い訳をせず、
主の前にいき、赦しを受け取ろう。言い訳によって自分自身も欺か
れてしまう。祈り、悔い改めよう。