2025年09月17日(水)

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます・・私の思いを 遠くから読み取られます」詩篇139:1



ある女性の証しだ。両親共に仕事で多忙を極め、長女である自分
に妹弟の面倒を任された。親代わりになり、家の手伝いもした。
親はいつもひどく疲れていて、それを目にすると何も言えず、自
分の気持ちを抑え込んだ。親の言われる通りに、ずっと良い子で
来た。親にほめられるのが嬉しく、生きがいだった。

嫌な事は、嫌じゃないと思い込もうとし、思い込んだ。いつしか
自分の本当の気持ちが、わからなくなった。救われてから、ずっ
と良い子クリスチャンだった。自分では全く気づかなかったが、
主の前で良い子でいようとした。しかしそれは決して本当の自分
では無いので、主との間にいつも距離を感じていた。

主と自分の間に、幕があるような感覚だった。神の愛がわからず、
実感は無かった。本当の気持ちなどわからなかった。ところが試
練が次々と来て、もう苦しくてたまらず、瀬戸際で、容量オーバ
ーとなった。心の叫びとなり、抑えきれない気持ちを、初めて主
にぶつけた。それは怒りだった。自分でも驚いた。

これまで頑張りに頑張って来たのに、この状況に怒りが爆発した。
しかし本心を吐き出し、主にぶつけた時に、初めて主と交わりが
生まれた。主から答えが来て、驚いた。主に触れた実感が臨んだ。
主との生きた交わりを経験した。

良い子でなく、そのままで受け入れて下さっていることを、身を
もって経験した。心に初めて平安と喜びが来た。繕いという余裕
をはがすための試練だとわかり、主のご愛に更に感謝が溢れた。
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主は、何もかも知っていてくださるのに、自分が主の前にかまえ、
整えてからと思う。何処かさみしく喜びがないことを御霊が教え
てくださるとき、主の前に自分をさらけ出そう。主は共におられ
る。