2025年10月17日(金) 「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。 あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17
「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。 あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17
ある人が、会話の中で、つい攻撃的な言葉が出てしまい、友人を傷 つけてしまった。周囲にも嫌な思いをさせた。悪気は無かったとい うものではなく、醜い自我から出た事であり、はっきり自分の罪だ った。御霊により罪を示され、悔い改めることができた。友人にも 謝罪すべきであった。 しかし自らの愚かさであり、謝る事は恥ずかしく、肉はちゅうちょ した。その時に、尚も罪深い自分を見せられた。しかし、このまま では平安も喜びも無く、心が辛く苦しい。祈りの内に、とうとう傷 つけた相手、嫌な思いをさせた一人一人に謝る決心をした。赦して もらえなくても、当然のことだ。だが勇気を出して詫びた時に、相 手は快く赦してくれ、他の人々も同様だった。 その時、平安に満たされ、心すっきりし晴れやかになり、喜びを経 験した。主が喜ばれる言葉は「ごめんなさい」だ。その罪を赦し、 悔いた心をさげすまれない。ダビデも、姦淫と殺人という重罪を犯 し、隠ぺいしていた。トップであり、その権力ゆえ誰も何も言えな い。そこに、主は預言者ナタンを遣わされた。ナタンは例えを用い ながら、ダビデの罪を真っすぐに指摘した。 ウリヤを殺したダビデは、ナタンも同様にできた。しかしその時、 ダビデは逃げ隠れせず、罪を認め悔い改めた。「私は主に対して罪 を犯した」と。その瞬間、「主もまた、あなたの罪を見過ごしてく ださった」と。ダビデの罪は赦された。今、もし平安が無く、心悶 々状態なら、主と交わろう。罪があれば、悔い改めよう。赦しを受 けるので、心がすっきりし、平安にされる。 -------------- あれこれと言い訳が湧いてきて、素直に御心に従えない。かたくな な自我を認めさせられる。苦しいが、主はその時を待っていてくだ さる。主を仰ぎ、罪を悔い改め、赦しを受け取ろう。