2026年08月17日(月)

「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しま せんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に 告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦さ れました」詩篇32:5



人は罪を犯すと、まず、隠そうとしてしまうだろうか。
私たちは、どうだろう。隠すと心の中に、欺きができて
しまう。ダビデは、バテシバと姦淫した罪を、隠ぺいし
ようとして、更に罪を重ねて行った。バテシバの夫ウリ
ヤ殺害にまで至ってしまったのだ。

最初に主のもとに行き、姦淫の罪を認めて、悔い改めた
なら、次の罪を重ねずに済んだ。しかも、ウリヤ殺害に
関しては、巧妙に企んで、部下に命じ、ウリヤを最前線
に送り、人々には、戦いの中で死んだように見せかけた。
そしてウリヤ殺害後、バテシバを妻とした。

人々の目には、戦死した部下の妻の面倒を見る、良い王
に見えただろうか。一部始終を見られた主は、そのダビ
デを取り扱われた。「私は黙っていたときには、一日中、
うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が
昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひ
でりでかわききったからです」

ダビデは王であり、トップだ。黙っていれば、民の目に、
隠し通すことができただろう。しかしダビデの良心に、
主は働かれた。罪責感で苦しくてたまらなかった。罪は
隠せても、良心はどうにもならない。

ダビデは、主から遣わされたナタンにによって、罪を悔
い改めた。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださ
った」ダビデの罪は完全に赦された。良心の呵責が消さ
れ、平安が与えられた。
-----------
何とかごまかそうとする罪の恐ろしさを見せられるが、
主の御前に罪をごまかす道はない。罪を告白しよう。
十字架の恵みによる和解の道に感謝するばかりだ。