2004年06月16日(水)

「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自身の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく・・」(ヘブル12:10)

大木のそばにつるが生えているのを時々見かける。どんなに強風が吹いてもつるはしっかリしがみついて離れない風が強ければ強いほどますます、つるを木に押し付ける事になる。私達も同様だ。試練の時が神に一番近い。助けを叫び求めるからだ。今までの人生を振り返った時、厳しい試練の時は一番神に近かったのではないか。それゆえ、より神のもとに近づくように、嵐に会う事をお許しになる。順調に喜び持って歩んでいたのに突然、大きな試練に遭遇し、気がつくと嵐のまっただ中にいる事がある。トンネルの中は真っ暗に感じる。永遠に続くように感じる。しかし、試練には必ず結末があり、定められた「時」がある。神の時以上には延ばされる事はない。神は信仰を成長させ更に強くして下さる。
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試練は悲しく辛く、耐え難いと思う。しかし、「耐えられない試練はない」との御言葉に慰め励まされる。試練の「時」も定め、耐えられる「力」も与えて下さり、その中での神の慰め、励まし、ご愛はことさら心にしみ入り、真に神に触れる。その時は痛くて辛いが、後に通って良かったと必ず思える。