2004年08月16日(月)

「まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、わたしのところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子供のために作りなさい」(T列王17:13)


 飢饉の中、ケリテ川の水が枯れた時、エリヤが次ぎに遣わされたのは、何と貧しい未亡人のもとだった。それも飢饉で食べるものがなく、最後の食事を子供にさせて死のうとしていた。何という所へ導かれたのだろう。その極貧のやもめはその最後の食事を神に献げるよう言われたのだ。そうするなら、飢饉が終わるまで、かめの粉と壷の油が尽きる事はないと。やもめは従った。すると、その通りの奇跡が起こった。神第一にする時、必ず必要は満たされる。しかし、信仰の選択が必要だ。自我はどこまでも目に見える所を見て損得に立ち、自分を守ろうとする。瞬間の選択だ。神を大切にするか自分を大切にするか。今日も神を選べるように。
-----------------
神様は、いつもどん底の死の淵にある者を、尽きる事のない希望、永遠の命へと逆転させてくださる。そのためには、神様のみ言葉をしっかりと受けとめ、まず一歩ふみだす事だ。