2004年10月16日(土)

「何事でも神のみこころにかなう願をするなら、神はその願を聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」(Tヨハネ5:14)

最初は祈りがよくわからないので、何でもかんでも欲しいものを祈り求める。祈りの歳月を重ねながら学んで行く。その内、自分の快楽や欲、自己中心の祈りは叶えられないとわかってくる。自分の栄光と欲望のための祈りは、幾ら祈っても叶えられないからだ。祈りも実践の中で少しづつ学び成長して行くのだ。御父と親しくなるに従って、御父の求めておられるものがわかってくる。それを求めるようになる。ゆえに叶えられる。真の祈りとは神のお心を知り、そのお心にそって祈る事だとわかって来る。欲を捨て、自分を神のお心にそわせて行くから、祈りが叶えられるのだ。神の喜びが自分の喜びであり、神の満足が自分の満足だと経験して行く。神を喜ばせようとして、自分には喜びが無かったという人を聞いた事がない。
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自分の求めでなく、まず御父の私への求めが大切。私に何を求めておられるのか。御父のお心を求め、「主をおのれの喜びとせよ」。御父のお心に従って行く時「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」。まず、主のお心を求め行く時、自己中心な祈りをしないので、祈りが叶えられる。