2004年11月15日(月)

「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」(Uコリント5:10)


空中再臨の時、携え上げられキリストの裁きの座に立つ。その時、それぞれ自分の肉体でした行為について報いを受ける。善であれ悪であれ、神は隠れた事をすべて見ておられる。人の目は全く関係がない。人に隠れてした良い行ない、又悪行、すべてが明らかになる。救われていながら神を意識せず、自己中心にわがままに歩んでいるなら、報いが無いばかりか、火の中をくぐるようにして助かる。目先の事だけでなく、よく考えてみよう。神が確かにおられ、いつの日か総決算が来る。目の前の美味しい草をあさり迷子になる羊でなく、永遠がある事、よく心し得て今の生き方を決めよう。神に喜ばれる歩みへ方向転換。
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救われただけではなく、日々クリスチャンとして力強く歩んでいるだろうか。イエス様の前に立つ時、私たちはどうだろう。