2005年04月16日(土)

「だから、あすのための心配は無用です。あすの事はあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタイ6:34)

主は明日の心配は無用だと言われたが、心
配は必要なのではと思う人がいるだろうか。
急に病気になったら・・倒産したら・・親が寝た
きりになったら・・こんな備えは大切なのでは
と。しかし、すべてが「もし」に集約される。も
し〜になったら・・これから来る恐れは際限
がない。雨の日のために考慮し備える事
は賢明だ。しかし、起こりえるトラブルを次
々と勝手に想定して膨らませ、どんどん思い
煩いにほんろうされる事は別の事だ。神の
みこころではない。それらはすべて幻であり
架空の亡霊だ。現実でない事に対して、神も
どうにもお出来にならない。現実になってから、
対応すればよい。神が助けて下さる。思い煩
いは不要で無益、不信仰だ。何を食べ、何を
着るか心配するな。「本当に必要なもの」は
必ず神から与えられる。
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思い煩いは妄想であり亡霊だ。現実ではない
し、形もないのに、しかし、しっかり存在する。
サタンの攻撃だ。心は乱れ落ち込む。一生
亡霊である「明日」を煩い平安の無い時を過
ごすか、神を信頼して喜びに生きるか、信仰の
選択だ。今日も煩いを拒否し、神を喜び楽しもう。