2005年07月17日(日)

「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」(マタイ7:3)

人の欠点はよくわかる。他人の事はしっかり見
えるものだ。他人の欠点は幾らでも指摘できる
のに、自分の事はさっぱり見えない。それで他
人をあれこれさばき、とやかく言うのはこっけい
で愚かだ。私達が人にばかり目が行くのは、自
分を見なくて済むからだ。実は自分を見たくない。
プライドのため、自分の欠点や弱さを認められ
ない。弱さを直視できない。しかし、直視しない
限り、解決は無い、何も始まらない。自分が変え
られる事は無い。自分の姿を真正面から見据え
て行った時、すでに解決が始まっている。光に出
され、見えた弱さについては祈る事ができる。そ
の祈りは聞かれる。痛みが伴うが、自分と向き合
い、聖霊の光に照らされ、自分の弱さを認めよう。
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さばく正当な理由、明白な根拠がある時、対応する事は
適った事だ。しかし、相手の欠点や過失に悲しみではな
く快感を感じるならさばく心だ。又、自分はそんな人間で
はない。人をさばかないと思っている時も、梁が見えない。