2006年03月17日(金) 「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです」(Tヨハネ2:16)
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです」(Tヨハネ2:16)
神に仕えながら、いら立つことがあ る。夫が未信者、子供が小さい、親 の介護、仕事、これらが足かせに感 じ、いら立つ。なぜか。自分の思い 通りにならないからだ。その底にあ る、強い、頑なな自我が問題にされ ている。 又、自分の外見、人にどう見られる かを気にする見栄は無いか。人に良 いクリスチャンだと思われたい、肉 の欲だ。自分が満たされるため、自 己満足のために動いていないか。 神のためでなく、自分のためだ。 気づいていないが、信仰生活の中に、 強い自己中心がある。自分の思いが 妨げられると怒り、自己憐憫に陥る のはその現れだ。もし、神の栄光だ けを求めているのなら、そうはなら ないはずだ。何をするかより、どん な動機でしているのかは重要だ。 隠れたものを神は見て、報いて下さ る。 ------------- この世の流れに飲み込まれ人ばかり 見ながら生きてしまう。世から受け る無駄な欲をひとつひとつ捨て、一 番必要なものだけを日々受けていこ う。