2006年04月16日(日) 「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができすか」ヨハネ5:44
「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができすか」ヨハネ5:44
私達は、周囲に合わせながら、人が自分 をどう見ているかという視点で、自分を 位置づけ生きている。自分の態度や行動 を相手に合わせてコロコロ変えて行く。 まるでカメレオンだ。人に良く見られたい、 人に嫌われたくない。これは人の評価に よって生きている事であり、人が神とな っていて、人に依存している事だ。この ように生きている人は多い。本当の自分 を押し殺し、人に合わせ、何が本当の 自分かがわからなくなる。このユダヤ人達 は迫害を恐れたのでなく、人からの評価 を恐れた。肉のプライドで生きている時、 人から馬鹿にされ、見下される事が耐え られない。傷つき、怒る。自分はそうでない と思っているが、誰しも、人に認められた いという根深い肉がある。それが神と自分 との間の隔てとなり、神を深く知れないで いる。心探ってみよう。」それに気づき、 認める時、主の光の中だ。自由にされて、 主を知って行ける。 ・・・・・・・・・・・・ 「主は御霊です。主の御霊のあるところに は自由があります」では、神はどう見てお られ、どう思っておられるのか。神の視点 に立つ時、肉に気づく。主に向くならおお いが取り除かれる。