2006年07月17日(月)

「イエスご自身が近づいて、彼らとともに歩いておられた」ルカ24:15



エマオへ向かう二人の弟子
達。女性達が主のよみがえ
りを伝えるが、信じる事が
出来ない。失望と落胆、疑
いや悲しみの混じった重い
足取りで、郷里への途上だ。
郷里へ帰ったとて何があろ
う。そんな弟子達を気遣い、
主がわからない弟子達に寄
り添われる主。同様に、主
がなかなかわからない私達
にも寄り添っていて下さる。
主が見い出せない時に、す
でに主がかたわらを歩んで
下さっている。弟子達が、
あの、よく知っているはず
の主がわからない原因は
「ふたりの目はさえぎられ
て」いたからだ。私達も、
主がよくわからないのは、
「信じない、心の鈍い」
不信仰による。御言葉を信
じないからだ。主がよくわ
からない自らの心の内を、
心の底を御霊に探って頂こ
う。頑なな不信仰が横たわ
っていないか。自分の思い
と判断を、主の上に置いて、
自分の思いを正しいとし、
御言葉を退けていないか。
心の内の思いを素直に主に
語れ。そして信じようとの、
意志を向ける事は大切だ。
信仰を選び取る事は必要だ。
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わからないのかわかりたく
ないのか主が遠くに思われ
るのは自分の側の問題だ。
従いたい、変わりたい・・
この様な思いをもって主に
向かう者を主は決して捨て
おかれない。