2007年04月16日(月) わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおもほめたたえる。私の救い、私の神を」詩篇42:11
わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおもほめたたえる。私の救い、私の神を」詩篇42:11
私達は、この世の価値観が根深く あるので、ハピーな事は善で、不 幸は悪との思いがある。だから、 何か良くない事が起こると、なぜ ?なぜ?とパニックになり怪しむ。 悪だからだ。この世の御利益宗教 のように、信仰すれば、人生良い ことづくめのはずだとの思いがな いか。しかし、聖書はそんな事は 全く言っていない。信仰人生、試 練があると繰り返し告げている。 おとぎ話のように、信仰するなら、 めでたし、めでたしで終わり、天 国なのではない。様々な試練が次 々に臨む。頑固な私達が造り変え られるためだ。試練の意味は「今 はわからないが、後でわかる」事 は多々あるが、しかし、天国へ行 くまでわからない事もある。それ も踏まえていよう。1+1=2で 機械的にすべて割り切れる世界で はない。ヨブのように、時として 理由のわからない不幸が臨む事が ある。理由のわからない中で、尚 も神の愛、真実、ご計画の最善を 信じて、神を待ち望む事、これを 信頼というのではないだろうか。 忍耐が養われ、このような中で初 めて、神との深い関係が培われて 行く。詩篇記者のように、わから ない中とにかく神の前を離れず、 神に向き続けよう。そうする事が 御心に適った事だ。 ----------------- 試練があっても、私達は恵みを数 える事が出来る。あの時も、この 時も神様は最善を成して下さり、 感謝で賛美で終わったではないか と。私たちにわからなくても神様 の御意志が成されている。