2001年07月17日(火)

「彼は主が自分から去られたことを知らなかった」(士師記16:20)


 像の例え話がある。テントにいる人間の所へ、
象が来て「ほんの鼻先だけでいいのです。入れ
て下さい」と頼む。鼻先ぐらいならと気に止めず
了解する。「もう少し鼻を入れさせて下さい」そ
れを許すと、どんどん手の先を、手を、耳を少し
と少しづつ、少しづつ了解させ、やがて、テント
に象が丸ごと入ったという話しだ。
これは誘惑と罪を表わしている。はじめから全貌
は見えず、少しづつ、少しづつなのだ。だから、
これくらいどうもないと気を許す。そのうちに取
り返しのつかない事になる。罪の常道だ。面白が
って俗っぽい事と戯れる。少しづつ深みにはまり、
気付かないうちに主から少しづつ離れる。神の懲
らしめの危機的状況が臨むまで気づかない。
自分の真の姿を悟らない。御言葉に照らされ、目
を覚ます。サタンに霊的な力や判断力を奪われて
いた事に気づく。どんな娯楽を楽しむかで、神か
らどれほど離れてしまったかがわかる。
以前は不快だと思っていた世のものを、今は楽し
んでいないか。