2007年08月17日(金)

「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32



主が死なれ、空虚な心で郷里へ帰る
クレオパ達。御使いから 主のよみが
えりを聞いた女達は、使徒達に伝える
が「たわごとと思われたので、彼らは
女達を信用しなかった」。「御使いた
ちの幻を見た」彼らは十字架上で、確
実に死んだ主を見た。兵が、脇腹に槍
を突くと、血と水が出た。完全に主は
死んだ。それがどうよみがえるのか。
主の死が余りにもリアルで、それがよ
みがえるなど信じられなかった。不信
仰と、失望感、主がこの世の王となる
はずだったのに納得も行かない。不信
仰と失意と悶々で「暗い顔つき」だっ
た。帰ったとて何があるわけでもない。
その途上で、よみがえりの主がかたわ
らを歩かれた。しかし、彼らにはわか
らない。信じていないからだ。クレオ
パは私達だ。信じていないと主が見え
ない。すぐそばにおられるのに見えな
い。又、失望落胆は主が見えない。経
験する事だ。そんな彼らを助けるため
に主は来られた。御言葉により、彼ら
の心が赤々と燃えて来た。彼らを憐れ
み、主から近づき、引き上げて下さっ
た。今も私達に同じ事をして下さって
いる。弱っている者に、主の方から近
づき、語りかけ心暖め、今一度神を見
上げ、信じて行けるようにして下さる。
今までも、ずっとそうして下さったか
ら、今の私達がある。
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礼拝で霊的に満たされ、赤々と燃やさ
れても、世に帰ると徐々に暗い顔つき
になってしまう。そんな自分を素直に
認め、主を見上げよう。そして朝毎に
御言葉により主が同伴して下さってい
る幸いを確認しよう。