2007年10月17日(水)

「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」創世記45:8



ヨセフは、兄達妬まれ、憎まれ、エジ
プトの隊商に売られた。ヨセフにとれ
ば、どんなに苦しい、辛い、理不尽な
事だろう。見知らぬ地で一人、恐れと
不安で一杯だったろう。しかし、主は、
主人の側近とし、主人の愛情と信頼を
得るようにされた。だが、主人の妻か
ら濡れ衣を着せられ、投獄の身に。何
と波乱の人生だろう。長期に渡る牢獄
生活、そこでも模範囚として仕えた。
夢を解き明かし、やっと釈放と思いき
や、忘れ去られて、尚も牢獄生活だ。
神は忘れておられるのか、見捨てられ
ているのか。しかし、このような厳し
い、苦しい試練の中で、ヨセフの信仰
は練られ、鍛えられ、強められて行っ
た。ヨセフはこれらが運命や偶然にほ
んろうされているのではなく、一つ違
わず神のプログラムであり、計画だと
見ていた。すべては必ず最終的に益と
される、摂理の神を信じていた。やが
て兄達と再会した時、背後に神のプロ
グラムを見ていたので、あなたではな
く、神がそうされたと赦す事ができた。
自分中心の視点なら、兄達への恨みと
憎しみ、それだけだ。しかし、自分中
心でなく、神の視点で見た。「あなた
でなく、実に、神」と言えた。あなた
の対人関係はどうだろう。人を見るな
ら恨みつらみ敵対心だけだ。しかし、
そこに神を見る時、あなたを訓練し、
砕き、聖め、成長させるために、その
人を、その状況を送られたのだ。「そ
の人でなく、実に、神」だ。
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しんどい状況の中で、背後の神を見る
時、事態が解き明かされて見えて来る。
自分への訓練だと。環境を変えても、
又、同じ事を繰り返す。なぜなら自分
は変わってないのだから。