2008年03月17日(月)

「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです」Tペテロ5:5

時々、へりくだりと自己卑下を勘違い
する。へりくだりとは自己卑下ではな
い。自分の事を、とにかく卑下すれば
よいのではない。何でもかんでも卑下
すれば、謙遜なのではない。「ことさ
らに自己卑下をしようとし・・肉の思い
によっていたずらに誇り」自己卑下と
は肉の誇りであり、実は人を意識した、
人へのアピールであり、自分のためで
あり、根は高ぶりだ。謙遜を誇ること
になってしまう。単に腰を低くする事
ではない。外側、柔和な物腰で、心で
は人を馬鹿にし、見下していたりする。
パリサイ人は、祈ることも断食するこ
とも、人に施すことも、すべてに人に
見せるためであり、自分のためであっ
た。へりくだりとは、自らの本当の姿
を認める事だ。逃げないで、ふたをし
ないで、正面から向き合い認めること。
自分の肉の性質、古い生まれつきの性
質は、まさにパリサイ人そのものだ。
しかし、主は新しい性質を与えて下さ
った。主を喜び、主に従おうとする性
質だ。へりくだりとは、御霊の導きに
従うこと、どんな場合にも「はい」と
従って行くことだ。「私を強くして下
さる方によって、どんなことでもでき
るのです」自分にはできないが、御霊
の助けによって「どんなことでも」で
きる。主を信頼して従って行こう。今、
示されている事に「はい」と言おう。
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自分はできません、と尻込みするのは、
謙遜に見せかけた肉だ。神様に従うな
ら、新しい性質へと力強く導いて下さ
る。それだけを信じて、今週も新しい
一歩を踏み出そう。