2008年06月16日(月)

「また私たちのためです・・主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです」ローマ4:24

アブラハムは子孫を与えるとの
約束を受けていたが、見えると
ころはどうだろう。アブラハム
は年寄りになり、100歳にな
って自分の身体が死んだも同然
となった。ましてや、サラは妊
娠不可能な身体になっていた。
常識、自然界の秩序では、あり
得ない状況になっていた。状況
的には不可能だ、しかし、アブ
ラハムは神に不可能な事は一つ
もないと、「神には約束された
ことを成就する力があることを
堅く信じ」た。そして、神はそ
の信仰を義と認められた。マル
タとマリヤは弟ラザロが病気に
なり、主に使いを送った。主さ
え来て下さればすぐに治る。し
かし主は動かれなかった。ラザ
ロが死ぬのを待って、死後に、
やっと訪ねられた。「あなたの
兄弟はよみがえる」と言われた。
現状はラザロは死んだ上に、も
う腐って来ていた。死の上に更
にこれでもかとの、だめ押しだ。
これがどうなるというのか。
「もう臭くなっています。四日
にもなるので」と。しかし、主
は「信じるなら栄光を見る」と
言われた。状況を取るのか、主
の御言葉を取るのか。どちらか
だ。アブラハムは状況でなく、
約束を信じた。それが彼の義と
みなされた。アブラハムには様
々な失敗があった。しかし、義
人とされた。義人とは状況でな
く、神の約束を信じる人のこと
だ。
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目の前の事だけを頼ってはいな
いが全く神様だけを信じる事もで
きない。こんな中途半端な信仰は
むなしい。不安な思いは神様に
告げながら、それでも信仰を選ん
で行こう。