2008年07月17日(木)

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」へブル12:11

ある人が、家族や親族に懸命
に証しをしていた。どうして
も救われて欲しい一心だった
が、一生懸命になればなるほ
ど、親族からは拒否反応が出
た。妹にも話せば話すほど、
心頑なにするのだった。心を
閉じていて、「その信仰は嫌
い」と言われてしまった。や
がて家族から離れ、遠隔地で
仕事を始めたが、仕事が
うまく行かなかった。紆余曲
折を経て、何もかも失い、行
き詰まり、痛手を負い家に戻
った。家族としばらく生活した
が、妹が「お姉さん変わった。
今のお姉さん好き」とが言った。
以前の自分がいかに鼻持ち
ならない高慢であったかを
知らされた。苦しみにより、
砕かれたのだ。妹は証しに
耳を傾けてくれた。試練は、
決して嬉しいものではなく、
痛くて悲しい。苦しみは耐え
難く辛い。しかし、自分で自分
を砕くことはできず、自分でどう
する事もできない。高慢は砕
かれるしかない。苦しみが、
高慢を砕いてくれる。「苦し
みに会ったことは、私にとっ
て幸せでした。それであなた
のおきてを学びました」苦し
み通して、神に出会い、その
中で神の恵みを知って行け
る。「私たちの益のため・・ご
自分の聖さにあずからせよう
として、懲らしめる」懲らしめ
により、聖められて行く。
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砕きがなければ、神様からの
恵みや哀れみを肌で感じる事
はないだろう。へりくだる事が
なくて、どうして尊い主の十字架
を証しする事が出来よう。