2009年02月14日(土)

「これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」Uコリント2:10

「私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、キリストの御前で赦した」とパ
ウロも言っている。人を赦せない心は、サタンに足場を与えてしまう。

自らの心を「怒り」「プライド」「憎しみ」「敵対心」「嫉妬」「高慢」へと開
く事になり、心にそれらを招き入れる。サタンに足場を作らせてしまう。

心に足場があるから、サタンは自在にあおってくるし、増幅させて来る。人を赦
さない心は、サタンが動き回る場を提供し、サタンに機会を与える事になる。

又、赦さない心は、自分自身が牢獄に入る。自分を牢獄に閉じこめる事だ。四六
時中苦しみにがんじがらめで、解き放たれる事がない。それだけでなく、憎しみ
や敵対心はそのままでなく、必ず強固になり増大して行く。

心はどんどん頑なになる。その事で思いが一杯で、常にその事を考えているから、
更に思いは強固になり、要塞になって行く。自分が要塞を築いている。自分が自
分の心を屈折させ、歪んだ、ネガティブな性格を作り、否定的な人生にしてしま
う。

赦さない心は、あなたの人格も人生も破壊させてしまう。そうしたいだろうか。
赦す事を拒むなら、自らと神の関係も拒む事になる。神にまず、あるがままの心
を率直に打ち明けよう。そこから始まる。赦せない心を祈りに持って行こう。

「赦せませんが感謝します。神様が赦せるようにして下さるからです」と祈った
人が赦せるようになった。祈りは必ず答えられる。
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自我は決して赦そうとせず、赦したくない。が、それならずっと平安の無い人生
で、自分で牢獄に入る事になる。自分の選択であり、赦しを選び取る時、牢獄
から解き放たれ、平安を得る。「赦したくない」とまずあるがまま主に近づこ
う。