2025年08月15日(金) 「この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日、 『美しの門』という名の宮の門に置いてもらっていた」使徒3:2
「この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日、 『美しの門』という名の宮の門に置いてもらっていた」使徒3:2
ペテロとヨハネが、祈ろうとして宮に上った時に、足のきかな い男性がいて、彼らに施しを求めた。この男性は、うまれつき 足が悪く、人々に施してもらうために、宮の門に置いてもらって いた。彼は、人に運んでもらわなければ動けず、施してもらわ なければ生きて行けない。それは人依存の人生だった。自分 では、何も、どうにも出来ず、無力だった。 そんな身の上を嘆き、諦めていたかもしれない。その日も、ペ テロたちに施しを求めた。するとペテロは、彼を見つめて「金 銀は私にはない」と言った。彼は落胆しただろうか。しかし、 その次に、想定外の言葉を受けた「しかし私にあるものを上 げよう。イエス・キリストの名によって歩け」と。つまりキリストを 信じて生きよと。彼はキリストを信じた。 徹底的に無力だからこそ、信じる事が出来た。ペテロたちに 手を取られ、助けられた時に、立とうとしたので、足とくるぶし が強くなり、踊り上がり真っ直ぐに立てた。跳ねて歩き出した。 信じなければ、はなから立とうとなどしない。主を賛美し、ペテ ロたちと一緒に、祈るために宮に入った。彼は、足のいやしだけ でなく、主を信じ、罪が赦され、救いに入れられた。 たましいのいやしも与えられた。私たちも、どのような状態でも、 主を信じる時に、主の名により立ち上がらせて下さる。主によ り生きて行ける。そしてパウロとヨハネは忠実に祈っていた。 祈りには大きな力がある。祈りにより、みわざを見る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼は、人に置いてもらい、自分で歩くことができなかった。どう やっても歩けない、不可能だった。人はあらゆる手を尽くして、 どうしてもだめだと知る時、どん底だ。しかしその時にこそ、主 に頼ることができる。恵みの時だ。喜びへと導かれる。