2024年07月12日(金)

「わたしのくびきを負って・・たましいに安らぎが来ます。わたしの くびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」マタイ11:30



よく耳にするように、くびきとは畑を耕す時に、同じ方向へ二頭の
家畜を進ませるために、板に二つの穴を開けたものだ。家畜が二頭
だと、それぞれ別の方向へ向くので、仕事にならない。それを二つ
の穴に一頭づつ首を入れるなら、二頭を同じ方向に進ませられる。
畑をうまく耕す事ができる。その時、どうだろう。その穴にきちん
と頭を入れるなら、不都合は無い。

しかしくびきを嫌がって、抜けようともがくなら、首が締め付けら
れ苦痛でたまらない。自分で自分の首を締める事になる。私たちも
どうだろう。主に与えられたくびきである、今の環境を受け入れる
なら、それは快適で、安らぎをもたらし、軽い荷だと。しかし避け
て逃がれようとする時、もがいて首を絞め、痛くてたまらない。苦
痛しかない。

バビロン捕囚の時に、主が言われた。この捕囚はすぐ解放されるの
ではなく、長くなるから、家を建てて住みつき、畑を作り、その実
を食べよ。結婚し、子どもを産み、そこで地に足をつけて、しっか
り生活するようにと。70年後に帰国させるからと。そして「バビロ
ンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土
地にいこわせる」。

いこわせると言われた。今の現状をしっかり受け入れて、そこで仕
えて行くなら、平安に生きて行けると。私たちにとって肝心な事
は、状況が問題なのでなく、与えられた境遇を主からのものとし
て、しっかり受け入れる事で、くびきを負う事だ。その時、心は、
世のものでない、主の平安に満たされる。
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主が今ここに置いておられ、これが御心と見ていくなら、注がれて
いる恵みも見えてくるのではないか。不安は主に祈りながら、時が
来るまで主と共に落ち着いていよう。