2009年05月16日(土)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道者3:1

                 
信仰生活で、段々わかって来る事の一つが、すべてにおいて「時」があるという
事だ。様々な出来事の中で、経験して行く。

「神の時」がある。すぐ決断すれば、手に入れられたのに、ぐずぐずしたために
機会を失ってしまったり、又、もうしばらく待てば、すべてにおいて栄光が現わ
れる「時」が満ちるのに、待てないで自分で動いて、失敗してしまったり。

厳粛な「神の時」というものがあることを、経験の中で知る。

私たちの教会の会堂建設は土地もかなりの値段であったが、神の「今」と言う御
声を聞き、信仰と祈りによって前進した。見事に会堂が建ち上がった。すべての
面において完璧に「神の時」であった。その前でも、後でも建たなかったろう。

ある人が話した。「うちの教会では、時期的に土地の値段が急落し、まさに買い
得で、今だ!チャンス!これを逃したら、こんな好機は二度と無いと思えた。見
える所では、早く、早くと心急く。

しかし、牧師は『時』では無いと頑として動かない。価格ではなく、牧師が見据
えていたのは、教会の一致であった。一致のために、まだ祈りが必要、時が必要
と。
やがて時満ちて、土地購入に至った。土地の高騰で、大変な額であったが、献金
の方が満たされ、素晴らしい神の栄光を見た。牧師に脱帽でした」神の栄光が現
わされる、神の「時」がある。

良い企てであっても、神の時ではなく、機が熟さなければ成功しない。良い企画
だが、何かがギクシャクし、うまく行かず、時期尚早、「時」ではなかったと学
ばされた事がないだろうか。

すべての事に、「時」がある事をしっかり覚えるなら、焦る事なく失望する事な
く、神を待ち望める。
又、「神の時」を祈る時、強烈な「自分の時」がある事に気づく。「自分の思い
通りの時」「自分の願う時」があり、強い自我に気づかされる。明け渡して行こ
う。
あなたの、その祈りも最も美しい時に叶えられる。「神のなさることは、すべて
時にかなって美しい」時を待とう。

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最も完璧で、美しい「時」がある。それ以前でも、以後でもない。まさに神の時
だ。神の時でなければ、何一つ動かない。全く動かない。どんなに焦っても、急
いてもどうにもならない。神の時には、目の前で自然に門が開いて行く。神を待
とう。