2009年09月15日(火)

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」箴言19:21



信仰生活の中で、思いもかけず、目の前で道が閉ざされる事がある。誰しも経験する。神からの「ノー」を突き付けられる。非常に厳しく感じる。入試、就職試験、対人関係、様々な事で経験する。

自分の思いとは異なる、思ってもみない方向へ向かう事になる。自分の思いと違うので、失望落胆してしまう。「ノー」は、進路だけでなく、自分自身も否定されたように感じてしまう。しかし、神には、行き当たりばったりという事が無い。
初めから、完全な計画を持っておられる。

あなたの思いが、神の御心と違っていたのであり、神は、正しくあなたを御心の道へと導いておられる。人生の「ノー」を神のご意志として受け取ろう。別の遙かに良い道が用意されてあり、開かれた道から進めばよい。

ある人は、ことごとく目の前の道がふさがれて行った。進もうとすると閉ざされるのだ。そのため、自分の思いで、自分のしたい事をする事をやめて「神が、自分に何をさせたいと思っておらるのか」に考え方を変えた。

そのように祈り始めると、目の前に一つのなすべき事が示され、道が開かれた。
御心を確信し、働きを始めた。自分の思いで進んでいた時は、しょっ中、途中で挫折した。行き詰まってしまい、諦め、途中で投げ出した。
しかし、自分が始めた事でなく、神から始まった事は、成し遂げられて行く事を経験した。「神から発し」が大切だ。
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起こることの背後に神様が働いておられるとの認識に立つ時「ノー」は「イエス」と同じ意味を持つ。自分が何をではなく、神様が必ず最善の場所に導かれることに期待しよう。